かずろうのお話。

僕が良いと思った事や有意義な過ごし方についてを書きます。

宇高航路廃止について。。。


 私が宇高航路廃止のニュースを聞いたのは一、二週間ほど前であった。Twitterで宇高航路廃止を伝えるテレビニュースの画像を見た私は学校の四国仲間に廃止すると伝えると、松山の子は興味なさげではあったが、私は悲しみとともに混乱的状況にあった。「廃止となると、高松、宇野の両都市がこれ一層に廃れてしまうんじゃないか。。」そしてこの悲しみは動力源ともなった。「廃止になる前に一度は乗らないとな。。」そう思い立った私は宇野へ行く電車の時刻表を調べた。

 帰省日当日。岡山駅前にバスでたどり着いた私は、友人らにしばしの別れの挨拶をすると岡山の街をスナップしながら歩き始めた。表町商店街で定食を食べ、路面電車に乗り岡山駅へ向かった。岡山発の普通電車に乗り、途中、茶屋町で乗り換えをしながら、13:30分頃、宇野に到着した。
f:id:kazu-nikon073103:20191113220627j:image横写真:宇野駅

宇野へ行く電車には結構な人が乗っていた。外国人も多く乗っており、瀬戸芸が終わってもなお、展示を見に行く人は多いようであった。ただ、大多数は、宇野にあるアート作品には見向きもせず、足早にフェリー乗り場の方向に向かっていた。私は駅の観光案内所で宇高航路の時刻表と宇野の街の簡易地図を貰い、フェリーまでの二時間、街を步き回ることにした。

 駅横から昔アーケードがあったという築港銀座商店街を歩く。お店は九割シャターであった。住宅街の細道をこえて、玉野市役所へ。用もないので入らなかった。道を挟んで向かい側には、天満屋ハピータウンがある。何もすることがなく、暇な私は併合されている玉野市図書館へ。WIFIが飛んでいたので、ありがたく使わしていただくことにした。なんやかんやで暇を潰せた私は、少し速歩きで、フェリー乗り場へ向かった。出発までは30分ほどあったが、フェリーは宇野港に着岸していた。きっぷを買うとまた、步き始めた。瀬戸芸のアート作品を見たり、釣りをするおっちゃんたちを眺めたりしていると、不意に声をかけられた。

船員?「船好きか?」

私「え? まぁ。。」

船員?「この旗いるか?」

私「くれるんですか?」

船員?「おう、船の中整理してたら出てきたんだ。」

私「それじゃあ、もらいます」

船員?「おう、貰ってくれ」

私「ありがとうございます。記念に一枚撮らしてもらっても?」

パッシャ!

広げて見てみると、ヨットのマークに海の日と書いてあった。別に必要と思わなかったが、記念にと思って、もらうことにした。

お礼を言うと私は乗り場へ急ぎ足で向かった。
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 フェリーは定刻どおりに出発した。出発してすぐ、我慢できなくなった私は、うどんを買いにいった。うどんは目の前ですぐに作り上げてくれた。飲み物として缶コーラを買い、食べ始めた。麺はひとまずおいておき、出汁は讃岐本場の味だった。いよいよ帰ってきたなという実感が湧いてくるようだった。だが、それより最高だったのは、油揚げである。その油揚げを食べると、いろんな嫌なことがなんか、どっちでもいいように思えてくると同時に頑張ろうといった気持ちにもさせてくれるのだ。だが、これがなくなることを思い出し、より悲しくなった。
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食べ終わると、展望台にでたデッキに出た。風は強く、太陽はオレンジ色に輝いている。遠目に瀬戸大橋が見えた。海側から瀬戸
大橋を見たのは初めてのことだった。乗船してから30分をこすと高松のシンボルタワーが見えてくる。「やはり高松は都会だなぁ。」どんどんと近づいていく高松を眺めていた。「もう終わっちゃうのか」…こうして一時間の船旅は終わるのである。
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  降りて駅前を歩く。「高松、久々だな。」

 

廃止について僕の見解

一言で言えば悲しいに尽きる。一昔前には3社が競う形で宇野と高松を運行していた時代があったことを思うと体験してみたくもなる。

 数日後、岡山県知事、玉野市長ともに、「もうしょうが無い」といったふうなことを述べているということをニュースで知り、もう本当に終わっちゃうんだなと思い、悲しみが増した。。。

最後の宇高航路を楽しみたおと思う。